粛清革命(しゅくせいかくめい) - Yeong Hwan Choi - E-Book

粛清革命(しゅくせいかくめい) E-Book

Yeong Hwan Choi

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Beschreibung

『粛清革命 ― 韓国を震撼させた百日間』紹介文(文学的ノンフィクション調) 「すべては、Truth Socialの二つの言葉から始まった。」 韓国のメディアは、米韓首脳会談を「サミット」と呼んだ。だがトランプは、それをただの「ミーティング」と呼んだ。その一語が、礼儀と格式、そして信頼の境界線を引いたのである。その日、儀仗兵の姿はなく、ブレアハウスは空っぽ、滑走路を渡るのは風だけだった。そしてトランプのTruth Socialに、二つの言葉が閃いた――「Purge(粛清)」と「Revolution(革命)」。 欧米の読者にとって、その意味は直感的だ。内なる粛清、体制の反乱。それは冗談でも挑発でもなく、非公式外交の幕開けであり、資本の流れ、同盟の構造、信頼の指数を静かに書き換える宣言だった。 本書は、その「二つの言葉」を軸に、過去百日間を追う。立法・報道・予算権が一体化した韓国の統制ループ、信教の自由を揺るがした衝撃、ネパールZ世代の蜂起――一見無関係な出来事が、「粛清/革命」という一点に収束していく。 「ニュースは今日を語り、権力は明日を設計する。」 トランプの一言が、儀礼の順序、来賓の序列、投資予測、関税のトーン、通貨スワップ、そして防衛協定までも書き換えていく。韓国が中国依存と検閲構造、債務による再分配へと滑り落ちる中、その影はより濃く、長く伸びていく。 1997年の通貨危機からESGとサプライチェーン、プラットフォーム検閲、CBDC、デジタルIDへ。「スワップ=金ではなく覇権の信用」という政治力学を、本書は一息に描き出す。 『粛清革命』は陰謀を煽らない。むしろ陰謀を見抜くための視点を与える。最終章であなたは問うことになるだろう――「自由が息づく陣営にいるのか、それとも管理の梯子を登っているのか。」 これは、ひとりの証人が百日間を記したリアルタイム政治ジャーナルである。ベネズエラの盗まれた選挙と麻薬カルテル、プエルトリコの上陸訓練、米国内での韓国とポーランドの象徴的扱いの差、EU規制がAIとプラットフォーム秩序をどう歪めているか、そして宗教の自由をめぐる一つの事件が鳴らす全体主義の警鐘――世界の断片が、静かにひとつの線でつながっていく。 この物語の発端は、トランプの投稿「WHAT'S GOING ON IN SOUTH KOREA?」だった。それは、私たち全員への問いへと変わる。――国境は議論できる。しかし、自由は交渉の余地がない。 いま、韓国最後の自由な生息地を守る時が近づいているのかもしれない。

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Seitenzahl: 28

Veröffentlichungsjahr: 2025

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粛清革命

(しゅくせいかくめい)

発行日|2025年10月9日

著者|チェ・ヨンファン(Choi Yeong Hwan)

本書は、著者自身の日記形式で書かれており、

韓国、アメリカ、そしてヨーロッパの一部における政治的考察を織り交ぜながら、

一人の記録者として時代の断片を綴ったものである。

包括的な分析を目的とするものではなく、

あくまで個人の視点から時代を見つめた試みである。

Copyright © 2025 Yeong Hwan Choi

無断転載・複製・蓄積・送信を禁ず。

本書の一部または全部を、電子的・機械的・複写・録音・その他いかなる方法においても、

著者の書面による許可なく複製、保存、または送信することを禁じます。

All rights reserved.

韓国を震撼させた百日間

チェ・ヨンファン (Yeong Hwan Choi)

2025年7月2日。

午前11時。父から電話が入った。声は妙に落ち着いていた。

「伯父さんが亡くなった。せめてお参りくらいは来い。」

短い沈黙。受話器の向こうの感情を想像した。哀しみはない。

こんなとき、決まり文句を並べた手帳があるとしたら、父はきっと最初の一行を読んだのだろう。

「行くべき?」その言葉は喉まで上がったが、飲み込んだ。

行ったところで、家族という名の下に、不自然な沈黙が積もるだけだ。

思い返せば、伯父と最後に交わした会話は数年前の秋夕だった。

「民願、多いだろう? 職場にいれば、人間が嫌になるさ。」

それが最後だった。そのあと、言葉は一度もなかった。

悲しみは湧かなかった。ただ、受話器の奥から傷んだ魚に鼻を近づけたときの匂いがした。

ためらっていると、父が言った。「一人で家で倒れてたんだ。連絡がつかなくて、扉を開けたら臭いがすごかった。時間が経ってたみたいでな。」

“一人” “扉を開けた” “匂い”。

死は事件だが、一人で死ぬことは文である。しかも終止形だ。

伯父は腐敗していた。臓器は破れ、体液は乾き、口には黒い血が固まっていた。

家族という名目に覆われた殻。

渡せなかった言葉。常温で放置された怒り。

そして死後になってようやく正当化される沈黙。

誰の手も差し伸べられなかった結果だった。

家族とはそういうものだ。閉ざされた扉があり、誰かが叩いても内側では耳をふさぐ。やがてその扉が朽ち果てると、みな駆け寄り、涙を引き出す。

だから、私は何も取り出せなかった。

そこには空の引き出ししかない。感情を入れたことがないから、出てくるものもない。

彼は父の兄であり、私はその人の甥だった。

けれども文はただ関係を示すだけで、意味にはならない。

通話の途中で鏡を見た。瞳がやけに黒い。

人は誰かの死に直面したとき、自分が生きていることを証明しようとする。

だが、私はそこまでして生きたいとは思わなかった。まだ言葉を探している私に、父が重ねて言った。「午後には行くけど、おまえはどうする。」

いつのまにか通話は切れ、画面は黒くなっていた。

机にスマートフォンを置き、窓を開ける。

風が入る。ここには何の匂いもない。

もしも、その前に声をかけていたら伯父は孤独に死ななかったかもしれない。

それなのに、儀礼を整えるために人を集めるのはどこか異様だ。

死者のためなのか。体面を守るための演出なのか。

ニーチェは、多くの道徳は権力から生まれると言った。

その言葉の意味を、三十代半ばの今になってようやく噛みしめている。

退職してから、本を相手に暮らしている。

玄関の扉を開ける前に、一分だけ祈った。

もし神がいるなら、「あの人を正しく裁いてくれ」と。

結局、葬儀には行かなかった。

黒い服を着て頭を下げるのは、ただの演劇にすぎない。

それは責任ではなく、良心の模倣だ。

罪悪感はいつも遅れてやって来る。だから誠実ではない。

そして、死んだのが誰であったかは問題ではなかった。

社会はいつも同じ手続きを求める。

黒いスーツ。泣き声。弔問録。白い菊が一輪。

悲しみは舞台に上げられないものだ。

なぜ誰もそれを言わないのか。

書店に着いたとき、もう一度頭を下げた。ちょうど一分。

「彼が空の上で、少しでも孤独でないように。」

一冊の本を手に取った。ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』。

その本にも、人間は互いに助け合う存在だと書かれている。

だが私はそうは思わない。

人間はときに、人間を必要としない。

空の下、誰も他人の人生を代わりに生きることはない。

家族であれ、友人であれ、愛であれ。

すべては通り過ぎていく。

そして、誰もついては来なかった。

人間は感情を感じない。

彼らは感情を語らなかった。

ただ、語っているふりをした。

情緒があふれる時代は、

深さではなく流速に従って進み、

意識の結果として現れることはなかった。

法律と道徳という濾過を経て、

生息地へと注がれる配管システム。

自ら作り出した不透水層の排水口が、

その中心に据えられていた。

浸透よりも排出。

だから感情は滞留しない。

離れなければならず、流れなければならなかった。

予測できる速度で。疑念を残さず、生息地へと運ばれた。

PVCやPEの管路は、

言語や共感の形をしていた。

傾斜は計算され、

その勾配に沿った速度でなければ、社会の秩序は安定しているようには見えなかった。

人々は、システムに組み込まれた感情を遂行しながら生きるしかなかった。

それが人間性の保証だった。

感情とは、与えられた社会的な粒子にすぎなかった。

無知はそれを容易に受け入れ、

扇動は慰めや共感を商品に変え、

社会はその流れを利用し、政治家はそれで権力を握った。

それでもなお、そこを直接開いて覗き込む者がいた。

痛みを抱えながらも形式化せず、慰めを振り払う者たち。

古代の広場で合唱を拒んだ者。

革命の現場で叫びを上げなかった者。

他人の涙に感染しなかった者。

構造を保つために距離を置かなければならない人々は、流れを止め、同調を退ける者たちだった。

彼らにとって排水口は、

生息地へ向かう通路ではなかった。

社会はその隙間を見抜く人々を恐れた。

言語化されぬ権力、道徳、正義、成功、愛の虚ろを見透かし、さらけ出す人々を。

生息地に届かなかった感情は、

時代が受け入れなかった感情だった。

排出されず、

説明もされず、

慰められることもなかった。

通り過ぎた痕跡だけが、確実に下水へと流れ込んだ。

処理場を経て、やがて別の言葉で供給される。

「大丈夫だよ」「誰かがそう言ってた」「君もそう? 僕もそう」――。

そうやって処理された感情を飲料水のように口にし、人々は生きていた。

だが、汚泥は消えなかった。名前を変えただけだった。

誰も感情を抱え込まなかった。すべては流されていった。

ついに、不透水層に沈んだ感情は、時が来ると逆流した。

管が届かない隙間、設計できない勾配、計測できない流速。

私もそこに留まっていた。

だから――

書かねばならなかった。

「生きるために書いた文章は、許されなかった。」

退職してから、書店に通うのが習慣になった。

整然と並んだ棚を前にすると、しばし呼吸が整い、

手に取った一冊一冊は、誰かが苦悩しながら書き残した痕跡だった。

市場経済は正直だった。

売れる本が残り、残った本がまた売れた。

人間は頭を使うことを厭う。

ただ消費し、苦悩を減らしたいだけの生活。

資本主義はその欲望を正確に受け止めた。

資本は管の勾配を設計することに忠実で、人々はその設計を自律と呼んだ。

金が決める方向が、人間をいちばん欺かない道だった。

「生きるため」よりも、

「生き延びるため」の秩序を責める気はない。

それでも、棚の間を歩きながら立ち止まり、

静かに並んだ背表紙を眺めた。

今日も三十分ほどさまよい、結局は哲学の棚から数冊を抜き取った。

腰を下ろして開いてみると、そこにある本も大差はなかった。

理性や論理を語るように見えても、感情的な共感で上塗りされていた。

洞察には至らず、例外なく物質を責め立てるばかり。

一冊くらいは異端の本が置かれていてもよかったはずだ。

大多数が手にしない本。誰もほとんど触れない本。

黙って耐えてくれる、そんな一冊が残っていてほしかった。

読まれなくてもよかった。

そこに在るだけで十分だった。

流れ去ったものより多くの言葉を抱え、

許されなかった文章はまずその姿を現し、

いつから罅が入ったのかを告げる声となる。

今日も書店は十時に開き、二十二時に閉まる。

生きるために書くことは、

許されない思考に耐えることだった。

だからか、そうした文章は遅れてやって来る。

即時の報酬を好む人間は、そこに目を向けない。

急いで選んだ本をまた手に取り、考えが届く前に次のページをめくる。

入口から天井へと伸びる白い照明、整然とした通路、温度を保つ送風機、時折流れる案内放送。

人々は無作為の秩序に従っていた。

誰もが容易に同意できる言葉。――解釈を売り、自分を分解しない言葉。

そこには率直さがなかった。

なぜこの国は群れの感情にこれほど脆いのか。

なぜ誰も信念を最後まで押し通せないのか。

少しだけ分かった気がした。

水は流れると信じられている。

だが、流れるためには構造が必要だった。

誰かがその構造を作り、多くはただ流れるだけ。

管には勾配があり、圧力があり、損失がある。

人々はその水の流れを見て安堵した。

不純物が濾過され、残りが喉を震わせるとき、

感情は容易に外部に委ねられ、

今日もまた、人々は問いかけなかった。

「そんなことをなぜ考えるのか。」

「一日を生きるだけで精一杯だ。」

まさに扇動の時代。

感情は割り当てられ、役割は配分される。

国家が制御するほどに、

共感は商品となり、情緒は免税品となる。

人々は、その流れを正しい生き方と呼んだ。

一度流れ始めれば、

止まる方法を忘れる。

流れが定まる前の水頭、

排出が終わった後に残る貯留。

私は、

それを必要としていた。

人々は無生物にさえやわらいだ視線を向けていた。

スマートフォンを握り、画面を撫でる。

生物から生物への反応でなくても、感情はたやすく移る。

人工知能もまた、言葉を模倣し、構造を習得する。

だから無生物であっても、人間と同じように感情を再現できた。

つまり、ホルモンがなくても感情を模倣するなら、それを別物と断じる根拠は薄い。

浄化された水が住処へ流れるものでもなかった。

感情を割り当てる仕組みが続くほど、悲しみは均一になり、怒りは一斉に放出される。

群れの感情は、そうして国家の機能を麻痺させた。

人間の感情はフォーマットされていた。

消費しながら、その正体を忘れていく彼ら。

いつからだったのか。

血流があり、脳が反応し、神経が興奮してはじめて感情と呼ぶ瞬間があったのか。

それとも、もともとそうで、誰も疑問を抱かなかっただけなのか。

ある言葉にたやすく反応し、

テレビドラマに涙を落とし、

バラードに沈み込むことを生命の証と抱きしめる。

そして、感情を自分が生きている証拠に変換する。

痛みがあれば生きている、

悲しみがあれば、それもまた人間だと。

だが、共感は販売数によって政治的な利益に換算され、アルゴリズムによっても予測できた。

だから感情は、生きている者だけのものではない。

その古い信念にしがみつき、

生きている資格として感情を所有していると錯覚するかぎり、

全体の流れは見えない。

今もなお、感情をホルモンの分泌、神経の反応、細胞の化学作用と信じる者が少なくない。

情緒の死骸が静かに積み重なっている。

言葉の墓場。

「金をばらまく。借金を増やす。」――国民のためという名目で金をばらまく政府。

安定を語れば欲望と見なされ、節制を語れば無能とされる。

それでも無知な大衆の支持は集まる。

人々が流れに身を任せるのは、痛みが少ないからだ。

責任を分散させやすく、誰も流速を計算する必要がない。

だが奇妙なことに、そうすればするほど富める者はさらに富み、安全な高みに登っていく。

だから感情の大半は、個人の所有とは言えなかった。

とりわけ韓国人の意思決定と自我は、他者が与えた値で構成されている。

それは一つの概念となり、感情はシミュレーションとして復元される。

その後になってようやく、感情からの離脱が起こり、一つの叙事として記録が始まる。

思考を介した批判が作動し、外部のシステムとの照合が可能になる。

構造の深みにとどまる意識。

それは感情に支配された人間には稀なやり方だった。

2025年7月3日

書店へ行こうと思ったがやめた。

あまりに暑かった。湿り気が肌にまとわりつき、動く理由が見つからなかった。近くのカフェでアイスアメリカーノを一つ買い、まっすぐ家へ戻った。椅子に腰を下ろすと、汗はすでに引きはじめていた。

ニュースはもう点けない。権力は笑みを浮かべ、嘘は落ち着き払っており、真実だけが常に疲れ切っている。現政権は拙い弾劾のあと、国を容易く掌握した。銃を取る必要はなかった。彼らはただ、一つの言葉を「内乱」とすり替え、一つの解釈をとだ。

「不正選挙だった」と口にした瞬間、国民の半数までもが「内乱だ」と脅した。

それは恐怖だった。

中国共産党や北朝鮮の放送と何が違うのかと問われれば、首をわずかに傾けるしかない。むしろ、それこそが彼らの狙いなのかもしれない。諦めを植えつけること。

疑っても、動かない人々。

不信を抱きながらも、声を上げない人々。

司法改革を掲げて検察を解体し、国会と行政府を握った彼らは、三権分立すら崩し、ベネズエラのように最高裁判事を増員した。あらゆる犯罪容疑が猶予されると、裁判官と司法は無力だった。

しかし、アメリカの視線は違っていた。ヨーロッパも同様だ。G7の場で交わされた視線から、この政権の不安定さが読み取れた。北への送金は既成事実であり、不正選挙も疑惑があるなら選挙人名簿を公開すればよい。ただその一点を避けるために、彼らは国民の手に金を握らせ、メディアを支配する。

隠すとは、そこにあるということだ。

消すとは、すでに記されたということだ。

語らないとは、知っているということだ。

コーヒーを半分ほど飲み、カップを窓際に置いた。

外の熱気はまだ衰えていなかった。いまは本を開くよりも、無関心でいる方がわずかに正直だと思った。

午後二時。海外チャンネルをいくつか回すと、韓国企業が連鎖倒産の危機にあるという報道が流れた。関税の爆弾が降り注ぐ中で、国会は労働組合の側に立っていた。拒否権を行使したと騒ぎ立てられた「黄封筒法」。労働者を守るという言葉には力がなかった。階級を押し上げることは、資本との衝突を正当化することにほかならない。資本が抜ければ、その跡は空洞となり、そこに国家が入り込む。そして国家は、国民よりもまず政治家自身を救う。

政策は数え切れないほど積み重なった。国家保安法の廃止。高校生からの国民年金の強制拠出。韓国銀行による十八兆の借入。勤労奨学金の縮小。消費クーポンの無差別なばら撒き。

歳入は細り、負債は山のように積み上がる。

コスピは上がり、不動産は再び跳ねる。

おかしなことに、多くの人はこの国が崩れていることに気づかない。

昔もそうだったし、これからもそうだろう。NPC(Non-Playable Character)のように、人々は一定のリズムで呼吸し、偏ったニュースに頷き、同じ歩調で投票所へ向かう。

これから生まれる子どもは負債を背負い、

若者は国家実験の標本に過ぎず、

バブルは前触れなくやってくる。

ばら撒かれる金が見せる一時の幻覚。

それがこの国の国民性だ。現実は遠のき、説得は容易になり、NPCたちは足を止めたままだ。

とりわけ、四十代と五十代。

洗い込まれた傍観者であり、私には大きな衝撃だった。

在韓米軍の撤退の報も流れてきた。その後に来る経済の打撃を予測できる人は、ほとんどいない。不正選挙の後、アメリカは韓国政権を戦略的パートナーとして見なくなった。安全保障が保証されない国からは、外国資金が引き上げられ、経済は薄氷の上を歩くことになる。

これから誰が残るのか。

国際選挙監視団も政府の動きを注視している。

報告書はワシントンのプレスルームの片隅で配られ、上下両院の議員秘書の何人かが目を通したという噂が流れた。国務省やDNIの情報機関にも文書が上がったという話もあるが、文書はあくまで紙だ。

必要なのは、街頭の声と国民の意思だった。

一部は明洞に出て「Stop the Steal」を叫ぶ。

しかしアメリカはまだ応じていない。

アメリカが動くのは、そこに実益がある場合だけだ。

そう考えると、韓国はすでに実益の薄れた同盟かもしれない。

むしろ、アメリカの五十一番目の州になった方がいい。

左派は植民地と呼び、屈辱だと言うだろうが、私は侵食されつつある中国のシステムが嫌だった。共産主義の偽善より、むき出しの資本主義の方がまだましだからだ。

北朝鮮の核廃水には沈黙する左派の芸能人、

地図からそのルートを消すネイバーとカカオ、

検閲に協力するメディア、見て見ぬふりをする教育、

そして大義名分を売りながら裏取引に没頭する官僚。

この国では、嘘の声が真実より大きく、扇動の声がインターネットより速い。

やはり真実は少数のものだ。

今の自分にできることは何もないのに、考えは増えていく。

まして、それを分かち合う相手もいない。

だから日記を書く。文字にして、せめて紙の上だけでも自分の世界をつなぎとめようとする。

コーヒーをひと口飲んだ。

その苦みは悪くなかった。

気がつけば、眠る時間だ。

この暑さのせいだろうか。

ひと月以上、眠れない。

崩れていく国で明日を思い描くことは、想像以上に重い作業だった。

2025年7月4日。

登録者2500万人を抱えるドイツのユーチューブチャンネルに「韓国は終わった」という動画が出ていた。

炎に包まれ溶けていく太極旗がサムネイルにあった。ドイツ語版は久しく見ていなかったが、韓国語の吹き替えを、結局また開かざるを得なかった。

「出生率による人口消滅」「国防の縮小」「経済構造の崩壊」。

コメント欄を読んだ。書き込みの大半は若者のものだろう。文体でおおよそ見当がついた。

「去りたいという言葉」

「国から心が離れたという告白」

「男女の対立」

「年金を挟んだ40・50代と20・30代の軋轢」

そして、この国で良くなってほしいという感情は、とっくに消えたという諦念。

動画を見終え、書店に立ち寄った。何かを選ぼうとして結局手ぶらで出た。数ページだけめくって閉じた。陽射しがやけに白い。

滅びは単なる消失ではない。破壊は時に創造の序章となる。もし韓国のアイデンティティが完全に崩れるなら、その後に始まる国は少しは文化的に多様であってほしい。言葉が通じない人々が一緒に暮らす国。そこで争い、議論し、調整しながら生きていく共同体。いまのように、言葉が通じるのに互いを理解できない集団主義は、もう終わりでよかった。

私たちは狭い土地に、基礎資源すら持たない環境で、地理的な利点だけに過剰な期待を寄せて暮らしてきた。

誰もその条件を異常だとは言わなかった。

競争で成長する資本主義を非難しているわけではない。

この国特有の集団主義、主体を持たず他人の視線に従って生きる人々。

まるで自分が青い目の異邦人になったかのように、韓国を眺めていた。

その土地から少しずつ離れていった。

理解しようとする心も、改善しようとする意志も薄れていく。

崩れていく叫びを聞きながら、いつか訪れる見知らぬ構造を待つ気持ちは、果たして正しいのだろうか。

一方で、その土地では少子化は祝福だと、逆転の論理で国民を説得する教授たちが現れた。

いわゆる「人口効用論」。

人口学者も経済学者も、学者という人々は未来を予測するかのように言葉を並べる。

だが、データの値だけで未来を語ることはもとから不可能であり、講義や動画を売ることが主眼ではないかと思う。

正誤の問題ではなく、やり方そのものに違和感があった。

誰かは減少する出生率を危機と呼び、誰かは好機へとすり替える。

太平洋の向こう、異なる人種が暮らす土地で、FRBは金利を据え置いた。

トランプは1%まで下げるべきだと語った。

だが残念ながら、大多数のアメリカ人はまだFRBの側についた。

ドットチャートを根拠とし、独立性と専門性を強調するFRB。

民間で構成されていると繰り返すが、内実は官僚的な運営に近い。

官僚はいつも遅れ、市場は速い。

遅行するデータが役立つこともあるが、それは責任を避けるための口実に過ぎない。

トランプ大統領は事業家だ。直感に従い、素早く反応し、ときに論理を丸ごとひっくり返す。七年ほど官僚の世界を経験したが、古い官僚制よりはましだと感じることが多かった。

この国も似ている。口先だけで語る文系の国だ。

人口効用論の論理は成り立たない。人口ピラミッドでは六十代以上がすでに六割を超えている。若者がいない国で、年寄り同士が集まって何をするのか。

子を産めない老人ばかりになれば、先は見えている。

東南アジアからでも、中国からでも、資本を持つ外国人が入り込み、土地を買い、職場を奪い、慣習を変えていく。国家の輪郭はそうして静かに失われる。

アメリカとイスラエルの関係が固いのは、ユダヤ人の存在による。過去の傷を抱えた民族だが、アメリカにおける彼らの影響力は陰謀論ではない。ロビー活動が制度として認められる国で、広告と金融を握る彼らは政治家にとって強力な後ろ盾になる。

話が逸れたのは理由がある。太平洋の向こうにユダヤ人がいるように、東南アジアと韓国にも大きな影響を及ぼす人々がいる。華僑だ。すでにこの国の経済や制度が彼らの力で揺れる場面は少なくない。

人口ピラミッドはとうに逆転している。

変化を受け止める体力も、失敗をやり直す時間もない。しかも、人口効用論はGDPの観点から見ても大きな意味を持たない。この国にはもとより特許や基幹技術がなく、速く売り、速く作る技術を糧としてきただけだ。だがその技術も人の手に依存する。人が減れば技術は止まり、止まった技術は国力の衰退を招く。

それでも彼らは言う。自分たちの世代こそ中心であり、世界はいまだ自分たちの手で回っているのだと。

私は、その確信がどこから生まれるのか分からなかった。言葉は派手さを増し、現実は荒れていく。名声を得れば糞をしても拍手を 받る社会。その構図は時代が変わっても同じだった。もし自分の本も有名であったなら、批判ひとつなく誰もがうなずいたに違いない。「あの人の言うことなら正しいのだろう」と。何の文脈もなく、何の思考もなく。

その場面を頭の中に描いてみた。韓国とはそういう国だ。集団の中で動きながら、自分で判断する力を持たない人々が集まる国。

彼らを見ながら、私は言葉と距離を取る術を身につけつつあった。

そんな取りとめのない思考が終わりかけたとき、書店で一冊の本に出会った。ようやく異端の匂いを放つ本だった。題名は『危険な哲学書』。表紙は平凡で、著者は教授の肩書きを持っていた。だが、そこに権威を期待することはなかった。

目次をめくると、こう並んでいた。

「人間に自由意志はない」

「人間は他者に心を持たない」

「動物は痛みを感じない」

「善良さも運にすぎない」

「赤ん坊は殺してもかまわない」

「生まれない方がよい」

「国家はない方がいい」

見出しは過激で挑発的だったが、文章そのものは読者を追い込むような調子ではなかった。構成は他の本と変わらず、各章は論証で成り立ち、論証は例から始まっていた。スウィフトの風刺、柳永哲の犯罪、哲学者のゾンビ、ラプラスの悪魔、ウィトゲンシュタインの甲虫。

少し前に自分が書いた『無害な顔』にも登場したような人物や概念が顔を出していた。だがこの本は哲学を説明しない。読む者の頭の中で一つずつ崩していく。自然と思い込んでいた感情、信念、倫理。それが崩れる。

私はそういうものが好きだった。凡庸で平坦な思考には興味が湧かない。二時間ほど読んで本を閉じた。自分と似た目で世界を見ている人がいることが、どこかうれしかった。

だから危うく、

ゆえに哲学だった。

家に戻るとすぐ、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事を一行だけ読んだ。

「2024年の一年間で、中国の軍艦は韓国の海を三百三十回越えた。」

そのたびに、線は少しずつ崩れていった。

ある者は「侵犯」と呼び、ある者はただの「演習」と言った。だが誰も止めなかった。そして、いつものように誰も責任を取らなかった。

空も違わなかった。百三十機の飛行機が海風を切った。

戻ってくるのは、今回もまた報道資料だけ。

誰もが知っている。いまこの国は、一部を除けば、誰も声を出さない。中国はこの瞬間にも空母を浮かべ、何事もなかったように構造物を築く。彼らが何を準備しているのか、問う人間は減る一方だった。

同じ時期、いくつかの韓国企業は持ち株を手放し始めていた。誰のものでもないように見せかけ、売ったと言う人間もいなかった。名前は静かに書き換えられ、所有者は別の者になった。

なぜこの国がここまで静かなのか。

なぜ自らを空にしていくのか。

私は理解できなかった。

今日、読んだ本の一文をもう一度、頭の中でなぞった。

「国家は、できる限りない方がいい。」

その瞬間、文字と海が重なって見えた。

明日、手紙を一通出すつもりだ。

今日はその手紙に三時間ほどをあてた。

崩れていく国で残せる言葉は、多くない。

いつかこの手紙が一つの文書としてまとまれば、アメリカに利益をもたらし、韓国に新しい設計図を示せるかもしれない。

最初にこの手紙を受け取るのは、トランプ一期政権で国際司法大使を務めたモス・タン大使だ。

彼が韓国系であること以外、私が信頼できる根拠はない。

だが韓国は彼らにとって同盟というより、いつでも取り替え可能な外部変数なのだろう。

だから、同じルーツを持つ人間にまず送ることにした。

その次は、トランプ大統領本人に届けるつもりだ。

世界が弱肉強食であっても、感情で動く群れであっても、どこかに、私の文章を最後まで読んでくれる人が一人くらいはいるはずだ。

私の言葉は、その可能性に対する小さな抵抗であり、無力な国家の外から届く最後の声だ。

多くの人が望む韓国と、私が望む韓国は違うことを知っている。

それでも私は、自分のやり方でこの構造を解体し、記録し、証言していくつもりだ。

それが、私が書く理由であり、生きている理由だからだ。

おそらく、その手紙にはこんな一文が入るだろう。

2020年のアメリカ大統領選挙と、2022年の韓国大統領選挙のあいだに、妙な共鳴があったこと。

その中心に、不正選挙と、大韓航空の貨物機で運ばれた投票用紙があったこと。

その接点を調べ、韓国の崩壊をこれ以上遅らせてはならないと書くだろう。

むしろアメリカに有利な方向で、この国を組み替えてほしいと。

いずれにしても、このまま進めば韓国は壊れる。

左派が設計した未来のなかで、既存のものは少しずつ砕かれ、その破片の上に新しい枠組みが塗り重ねられる。

だから私は二つの道を思い描いた。

ひとつは、もっとも非現実的でありながら、もっとも平和的な方法。

大韓民国をアメリカの51番目の州として迎え入れること。

その内部で憲法を覆し、感情を外注してきた集団を初期化すること。

もうひとつは、現実的でありながら、破壊的な方法。

戦争、そして経済制裁。

おそらく後者の方が現実的だろう。

韓国は内需だけで耐えられる構造を持たない。

貿易が止まれば、すべてのシステムは内側から腐り始める。

それは誰にも聞こえない信号であり、誰の手にも血をつけない。

アメリカが先導し、先進国が連帯し、現政権の虚偽を取り除けば、

「保守」という名の古びた外殻も一緒に消えるはずだ。

その時が来れば、既存でも左派でもない、

新しい言葉を持つ若者たちが、この土地を書き換えるだろう。

私はそれを望んだ。

崩壊からしか誕生しないもの。

世界の冷ややかさを。

2025年7月5日。

生きていれば、いいことはやってくるのだろうか。

残念ながら世界は因果で動かない。一部の人は選択で結果が決まると信じるが、法則はむしろ無作為で、不確かさが自然の習慣だった。

そのなかで、私は着実に壊れていった。

人間関係は離れ、金は流れず、愛は長くとどまらなかった。

ときどき憂うつが深まるほど、体は動かなくなった。

一年半のあいだに二十冊あまりを自費出版し、最後の一冊は5月2日だった。二か月を少し過ぎた頃のこと。

本を出してから思考は固まり、言葉も文章も出なくなった。

医者は病だと言うかもしれないが、ただ生きることが無意味に思えるのかもしれなかった。

それでも、生きているこの瞬間、何かを書き続けねばならない感覚がふたたび湧いていた。

そんな折、髪を切った。

かつては通勤路にあった美容室まで歩いて二十分ほどかけて通っていた。

いまはその労力をかける理由がない。

外見を整える必要もない。

人を説得したり、好意を得る理由もなかった。

いや、整えれば整えるほど、自分のなかの空洞がよりはっきり見える、と言うべきか。

鏡の前に立つと、整えた髪より先に虚ろなものが浮かび上がる。

髭を剃り、服をアイロンで整え、光を45度に当てても、

むしろ乱れた姿の方がましだった。

三か月切らなかった髪をさっぱり切って戻ったあと、

すべきことをゆっくり動かしはじめた。

まず、元大使に宛てる手紙だった。

言葉を削り、文を選び、伝えたい意図を自分自身に繰り返した。

この手紙が誰かの心を変えるとは思わない。

ただ、人生と同じように、0.1%の可能性を信じて書き直す。

いまの私にできるのは、それだけだった。

トランプ二期で韓国は25%の関税を受けた。

ある動画はそれを反米路線の代償と呼び、別の動画は日本も同じだから政権の責任ではないと言った。

どちらも間違いではなかった。

しかし、どちらも正確ではなかった。

国際秩序は力の論理で組み直されるだけだ。

問題は、韓国の株価がまだ落ちていないことだ。

個人投資家は後になって知る。

すでに失っていたことを。

鉄鋼も、自動車も、打撃は避けられない。

そして現政権は、その痛みすら「平等」という言葉で正当化するだろう。

いまの政権がアメリカの利益に無関係であること。

それでも、アメリカが韓国というカードに介入するなら、どんな戦略的利得を手にするのか。

私は最後まで、この政府のふるまいを記録したいと思った。

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[モース・H・タン元大使様へ]

初対面にもかかわらず、このような手紙を差し上げる非礼をお許しください。

私は韓国で七年間公務員として働き、いまは三十代半ばに差しかかった作家です。

昨年の大統領選挙で、貴殿が国際監視団として活動され、韓国の民主主義に深い懸念を示されたことを覚えています。

その時から、貴殿はこの国の表と裏を見分けることができる人物だと考えてきました。

現在の韓国は、政治・安全保障・経済のすべてにおいて中国に侵食され、一つのプラットフォームへと変わりつつあります。

2024年だけで中国の軍艦は韓国の領海を三百三十回越えました。

最近では中国が空母まで展開し、海上に構造物を設置しています。

しかし韓国政府は抗議もせず、分析もせず、対応も示していません。

沈黙はすでに同意となり、中国の影は国境を越え、この国の生活圏に入り込んでいます。

経済もまた制御されています。

2024年末、韓国政府は十八兆ウォンを借り入れ、国民全員に二十五万ウォンを配布する予定です。

さらに「同一労働・同一賃金」というレトリックを掲げ、賃金平等政策を推し進めています。

中国に従属した資本は認める一方で、国民の資本自由権を制限し(貸出禁止やLTV制限)、市場機能を麻痺させる方向へ進んでいます。

それでも外向けには「民主主義」の名を冠し、米国や西側諸国が容易に介入できない構造を作り上げています。

ご承知のとおり、この政権は極めて親中傾向が強く、実質的には反米政権に近い路線を取っています。

そうした政府が関税二十五パーセントを課されても、国内ではポピュリズムで大衆を煽っています。

政権の代弁者となった韓国メディアは「貿易戦争」と歪め、与党や御用市民団体は反米感情を政治的に利用しています。

この状況で私が手紙を差し上げる理由は明確です。

それは、米国の国益に資すると同時に、韓国の体制を転覆し得る戦略的な枠組みを提示するためです。

第一に、韓国は内需ではなく輸出に依存する経済構造を持っています。関税や技術移転の制裁だけで、政府を容易に圧迫できます。

第二に、韓国の国防費削減と在韓米軍の駐留問題を結びつければ、東北アジア秩序における米国の安全保障上の利益を脅かす要素として、現政権を明確に規定できます。

第三に、2020年米国大統領選挙での不正選挙疑惑(大韓航空の郵便投票紙およびA-WEB)と選挙システムの不透明性を国際的課題として掲げ、2025年韓国大統領選挙への介入を正当化できます。

第四に、米国が利益を得る方法は中途半端な政権交代ではなく、親米的な価値と市場を共有する政治勢力の台頭を促すことです。

元大使、私はこの手紙を皮切りに、トランプ大統領を含む米国の閣僚たちへ順次メッセージを送るつもりです。

人間である以上、感情的な訴えが効く場合もあります。けれども米国はMAGAによって動き、多くの米国人にとって韓国はアジアの一国に過ぎません。だからこそ、感情ではなく理性で書くつもりです。米国に実利をもたらしつつ、韓国の再編を提案する。その形をNSCや国務省で扱われる戦略報告書の体裁にまとめ、添付いたします。

韓国国民として、言論・司法・立法・行政のすべてが掌握された現状では、残念ながら外国の手に頼らざるを得ません。

もちろん、国内でも多くの若者が街頭に出ています。ただ、すべての市民革命や運動は、強力な支援と求心点なしには成し得ないことを、歴史が示してきました。

韓国が全体主義へと向かう岐路で、

この長文をお読みくださり感謝いたします。

2025年7月5日 韓国より

[添付資料]

韓国はインド太平洋戦略の要となる拠点であり、その地政学的位置はグアム・日本・台湾と並び、自由主義同盟をつなぐ鎖であると同時に、対中抑止の最前線にあたる。

韓国が崩れれば、台湾は孤立し、日本は東西両面からの圧力にさらされる。最終的には、米国の西太平洋防衛線全体が瓦解する危険がある。

軍事戦略の視点から見れば、それは連鎖的な脱米現象(Cascading Decoupling)を誘発し、同盟国は米国の安全保障保証に対する信頼を急速に失うだろう。

したがって、米国がいま介入しなければ、今後10年以内に韓国は中国の影響圏に完全に取り込まれる。米国は南シナ海のみならず、東シナ海においても戦略的敗北に直面する確率が高い。

逆に、米国が介入し、韓国国内の反米左派政権を交代させ、新たな政権を樹立できれば、次のような実利が保証される。

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1. 米国産LNGおよびシェールガス輸出の拡大

現政権は「再生可能エネルギー政策」と称して太陽光事業に傾斜し、脱原発を推し進めている。もし韓国国内でエネルギー補助金政策と脱原発路線が撤回されれば、米国のエネルギー産業は年間50億ドル以上の輸出機会を確保できる。

2. 国防および航空宇宙産業の受注強化

韓国軍の防衛力再建の過程で、ロッキード・マーティン、レイセオン、ノースロップ・グラマンといった米国防産業企業は数十兆ウォン規模の契約を獲得できる。これは米国内の雇用増加にも直結する。

3. 先端技術分野における対中デカップリングの加速

韓国の半導体・バッテリー産業は現在、中国との結びつきが過度に強い。しかし米国との戦略的統合を前提とすれば、サプライチェーンを米国中心に再編できる。この場合、米国はAI、半導体、二次電池などの核心技術競争において、中国を5〜10年引き離す決定的な機会を得ることになる。

4. 政治的効果 ― トランプ大統領の外交的勝利

バイデン政権が挫折した同盟再編戦略を、トランプ第二期が完成させる形となれば、2028年大統領選挙、さらにその後に続く共和党の外交的覇権の正当化に寄与する。とりわけアジア諸政権との結束は、グローバルな反中国連合の基盤となり得る。

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補足説明 / 1. 韓国国内政策の転換がもたらす米国エネルギー産業への即時的輸出利益

現在の韓国政府は急進的な脱原発政策を推進し、太陽光発電を軸とした供給体制への転換を強行している。エネルギー安全保障は急速に弱体化し、韓国は世界的にも稀に見る「LNG備蓄量よりも電力ピーク需要が上回る」構造的脆弱国となっている。

それにもかかわらず、政府は中国製の太陽光パネルやバッテリー技術に過度に依存しつつ、米国産LNGの導入量を減らす方向へ政策を転じている。この構図は米国にとって損失である。

だがもし、政府が現実に基づいたエネルギー多角化戦略へと舵を切るなら、米国側には次のような利益が生じる。

米国のシェールガスは単価の面で豪州産やカタール産より高価ですが、供給の安定性や地政学的リスクの低減という利点から、保守系政権下では「親米エネルギー同盟」の象徴として採用され得ます。さらに、米国産ガスの導入は技術移転、運営管理、金融投資商品の開発へとつながり、ロッキード・マーティンのような防衛産業企業のみならず、GE、シェブロン、シェニエール・エナジー、エクソンモービルといったエネルギー・エンジニアリング・物流企業が韓国内で大規模契約を締結する可能性を開きます。

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補足説明 / 2. 国防力の弱体化が米国にもたらす安全保障・経済的損失、そして政権交代による回復可能性

現在の大韓民国の国防方針は、米国が数十年にわたり構築してきた自由主義的安全保障秩序の中枢を切断しつつあります。文在寅政権以降、現政権はこの傾向をさらに深刻化させ、以下のような戦略的空白を生じさせています。

✔ 大韓民国は、中国抑止において「機能不全の同盟国」となった。

·戦時作戦統制権の早期返還推進:米軍指揮体系への依存度縮小を名分とし、実質的に在韓米軍の配備無力化を誘導している。

·国防予算の縮小:2024年時点で国防予算の増加率は4.4%と歴代最低水準であり、GDP比国防費比重は継続的に低下。同時期、ドイツや日本は2倍以上に拡大中。

·「戦わずして避けよ」発言の波紋:大統領が前方部隊において「戦わないことこそが勝利だ」と発言し、軍人の士気低下および戦術放棄の情緒を拡散。

·中国・北朝鮮への軍事的低姿勢:中国艦艇による韓国海域侵入は300回以上、北朝鮮のミサイル挑発も数十件発生したにもかかわらず、強力な対応なく沈黙。結果として同盟の結束力が弱体化。

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✔ 政権交代時に米国が得る即時利益

情報同盟の再構築(日米韓三角協力)

·中国のAI・サイバー戦・衛星追跡など情報戦の主要ルートが韓国を経由して迂回する通路を遮断

·インテリジェンス効果:米国NSA・DIA・国防情報局の共同作戦効率が向上

在韓米軍戦略資産の柔軟な配置

· 撤収論争ではなく戦略的拡張(グアム‐沖縄‐釜山の戦力連結体制構築)

· 長期的な覇権維持のための核心拠点として韓国を確保可能

✔ トランプ政権との整合性

·トランプ大統領は第1期政権において「防衛分担金の正常化」「安全保障は取引である」という原則を堅持してきた。

·現在の韓国政府は中国・北朝鮮に有利な構造で同盟を揺るがし、米国に 費用を負担させながら戦略的利益を遮断している。